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経費も嵩んできている。よって御銅山出銅七〇万斤、白根御山二〇万斤の積りで一カ年入用諸品の書上を提出す

ること。明年の金繰は別して困難となるので、炭・春木駄賃、諸荒物、酒、鉄代等は七月、一二月の仕切払とす

ること。但し山手払、過釦代、点役日用代などは是迄通り滞りなく支払う、等々についてであった。

次いで同年一〇月、御勘定頭太田忠助、御吟味役松田佐次右衛門が登山した。その申渡しは、先年からの未進

銅弁納分や諸山取立のための地売銅など御為登高は都合一〇〇万斤程に上る。近年赤沢の過釦もあって廻銅滞り

なく済ませてきたが、田郡と横合の出鉗が引続き後れているのは、御山方は勿論御鋪手代、寸甫、金工頭まで役

筋の吟味が不行届なためである。この一〇月有銅の外来年五月晦日迄の出銅を尾去沢五一万斤、白根御山一四万

七、〇〇〇斤とするよう敷々の働方は一層の出釦に精を出すことなどであった。翌三年一〇月、御勘定頭江刺家

兵左衛門の登山があり、御用銅の値増しを公義にお願いしたが諸山への影響が大きいとして聞届けられなかった。

しかし当年より、値増し同様に手当銀一カ年八〇貫匁を下げ渡されるので、一層出銅に励むべきことを伝えてい

る。同四年六月には御勘定頭太田忠助が登山し、廻銅支配人井上庄兵衛、菊地勘右衛門に対し「近年格別出銅相

増し候」としてそれぞれ御褒美金を与えている。

さらに安永四年一二月御留守居見習嶋川文左衛門、御勘定頭格松田佐次右衛門が登山し、次のことを申渡して

いる。当年中の出銅尾去沢八五万斤白根御山二五万斤と申付けたが、是迄の状況ではその調達は覚束無くみえる

〓銅の斤数を一一三万斤として、去年より一〇〇斤に付七匁の値段増しと同様一カ年八〇貫宛の手当銀を公義か

ら下さることとなった。近年物入りが続き御勝手向からの資金繰が困難なため別に前借銀三〇〇貫匁を今年から

五カ年間交付されることとなり、是迄の分に加え前借銀は六〇〇貫匁に上る。よって御定例銅七三万斤は来年よ