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一、御用銅の代銀は、大坂において竿銅にし、一六貫匁入り一箇に付銀一三九匁四分八厘である。

一、西道御茶屋、躰頭屋敷、慶長年中金山があった由。

一、元山に山神堂、大本番役所がある。向い横道は田郡への通用道である。

一、元山坂ノ下中荷替敷、元山敷口は豆腐屋大切本敷、泉屋大切敷、新切敷、勢沢敷、鶯煙敷、千荷敷。

一、釦駄賃元山より一升に付二五文、田郡より四六文、右は獅子沢鉗、赤沢より三〇文、〓場迄の賃。

一、田郡小屋数八〇軒余、鋪口大切敷、水遣敷、姥敷、小田郡敷、狸沢敷の五カ所程。

一、常吹御茶屋山の影に赤沢あり、小屋数八〇軒余、敷口大切敷、二番口、稲荷敷、細越敷、新口五カ所程。

一、鹿沢、七曲坂、鹿沢より花輪迄三〇丁程、鹿沢に小屋数五〇軒余

一、鹿沢に役屋あり。奉行は盛岡より交代で相勤める。鹿沢に廻銅支配人や手代共の居る台所がある。

一、鹿沢に鉗焼釜一八流あり、但し釜数二一〇筒、釜一筒へ釦二斗燃、半筒へ鉗一斗燃。釜一筒へ本燃春木四八〇挺程

焼直春木三〇〇挺程。炭一〇貫匁程にて焼込み、焼直し共に両度焼、日数三〇日程で吹方をする。

一、鹿沢の床屋白吹床五軒、真吹床四軒あり、当時歩付三四束位、尤も鉗の善悪に寄り甲乙がある。

一、惣名を尾去沢ととなえる。笹小屋に小屋数二〇軒余。

一、金掘働きの者給代一カ月大工八〇〇文、掘子七〇〇文、右の外点役働きして請取る。

、春木三、五〇〇間程一カ年入用、一間に付二貫文替。留木五万本程一カ年入用、但し一本二五文替位。

、銅山掛り勘定奉行倉館久右衛門身帯二〇〇石。銅山吟味役土川忠右衛門、小寺文内身帯一〇〇石宛

幕府見分使の来山

尾去沢の産銅は、減銅猶予期限の切れる寛政元年(一七八九)に至っても僅かに二〇万

斤にとどまる状況であった。その前年一二月、困惑した藩はやむなく余銅増請銅の永御

兜、新山出銅の暫時猶予方を願い出た。元年四月一〇日老中松平越中守は藩留守居尾崎源吾を呼出し、次のよう

加、新山出銅の暫時猶予方を願い出た。元年四月一〇日老中松平越中守は藩留守居尾崎源吾を呼出し、次のよう