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第9図真金山金山略絵図(川口家文書)

とも拾分壱の外残り一箇に付通用銀七匁五分宛差出すこと。鉛は一六貫目入一

○〇箇迄拾分壱地他拂勝手、としている(山本家文書)。

○天明七年九月五日御銅山附御山奉行渡部文蔵が槇山御用掛当分兼帯を仰付

けられた(『雑書』)。

○寛政元年八月槇御山の金主を福嶋小南町石田弥次兵衛が承知した旨、盛岡

丸屋清兵衛から渡部文蔵へ書状があった。同年一〇月と一一月の両度に亘り、

唄御山支配人北村三右衛門より渡部文蔵宛普請模様の報告と共に、諸拂金不足

のため来春金主弥次兵衛登山迄御代物拝借方を願出ている(渡部家文書)。

○寛政四年一一月白欠村小八より渡部文蔵宛、槇御山金銅働方を御手山名儲

で仰付けられたことについて請書を差出した。翌五年九月、渡部助之丞名を以

て槇御山金銅山称宜沢金山一〇カ年中働方を白欠村小八、金主花輪町喜兵衛へ

達している(同前)。

○享和三年五月一七日槇山金山御手山働方の白欠村小八から出不足の為御=

返上の願出があった(『雑書』)。

○文化四年三月二六日御銅山田郡住居勝治から槇山金銅山五カ年中請山と少々

の金躰についての渡世働きを願出、併せて右は数十年の捨山に付普請料として

大堀内鉛山の渡世働きをも願出、ともに許された(『前掲書』)。

○天保二年一一月田郡住居勝之助へ真金御山金銅山普請を西道御山金働と共

に文政一〇年から当年迄申付けられ、猶又来年から七カ年中同様の働方を仰付

けられた。出金一匁銭二貫一〇〇文で買上げる(阿部家文書)

○天保九年三月七日真金御山を田郡沢勝之助働方の処去る七年秋以来凶作〓