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(川口家文書)

〓外山板屋平鉛山、細地銅山

○寛政二年四月乳牛村長助が柴内外山板谷沢に鉛銑を見立て取明普請を願出

た(山本家文書)。

○文化一一年六月花輪町亀之助が花輪通外山小繋沢川口下板屋平鉛銅山を見

立てた(『諸山開立年限附』)。

○天保四年毛馬内町駒之助が毛馬内通外山前ノ沢銅山に古鋪を見立てた

『前掲書』)。

○天保五年一一月高市村佐次郎が柴内村外川目細地沢銅山古鋪の試普請を願

出た(『前掲書」)。なお細地銅山の始まりは、享保二一年花輪村長兵衛の目

立と伝えられる(『川口家文書』)。

○嘉永六年九月盛岡川原丁宗十郎、毛馬内町萬屋万兵衛に細地御山鉛山御試

差配方を申付けた。また奥御勘定奉行定加一条友弥へ「細地御山ニ銅山井鉛山

奥御手行ノ御趣旨を以御内試成され候ニ付御用懸ノ心得ニて相勤申す可く候」

ことを仰付けた(『雑書』)。なお嘉永五年天山堂『御用留』には、細地御=

鉛山御試御取立相成るニ付として、掘大工など都て山働共には何村の者を雇う

にしても給銭その外振合より相増すこと。扶持米味噌真木については外の御=

振合を以て渡すこと。鉛山入用諸品米穀共毛馬内より山元迄附賦の節は御定日

駄賃を払うこと。係役人往来には御伝馬を下さるがその外一切夫伝馬は遣わさ

す、鉛附上等には別段迷惑の無い様成されること。御山切開、毛馬内町から通

路所々切開に付ての見分に毛馬内御代官立合うこと等の達が記されている。