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松代直
文政四年沈船の際の尾去沢銅であると報じたという。なお『野辺地郷土史・南部銅について』
)において
次郎著
も「尾去沢の荒銅は、角形銅につくられた。之は陸上および海上の運送の都合から、さうしたものではないかと
考へられる」としている。
この銅は、莚をもって包み、その上を縄がけする。別書に銅蔵定目として、銅一箇へ「莚壱枚三分、縄壱把半、
長短ニ寄違有之也」(
『御銅山記』岩手
県立図書館蔵本
と記している。左の箇方の図は長崎向掉銅のもので、棹銅一箇の長さおよ
そ八寸、従って荷の寸法は小ぶりであるが、箇方そのものは荒銅も概ね同様であったと思われる。そして一箇ご
とに内容と貫目を記した木札が結びつけられた。木札は前掲のほか、阿部佐一郎家蔵本『御銅山記』等には次の
様式例を載せている。なお〈栄は尾去沢銅山の山印であった。
御用銅の駄送には、牛が多く用いられた。これらの附牛は、
王に福岡通、宮古通、上田通から雇入れられ、牛一頭に二箇宛
の積まれ、牛士たちにより山元から野辺地若しくは盛岡へと渾
ばれた。他地方からの雇牛のほかに、地元近在のいわゆる地雇
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第11図
箇方と木札