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二、銅山の生活

〓鹿沢と三沢

鹿沢

第12図鹿沢(「尾去沢御銅山図」部分)

藩営銅山として管理運営の中枢は、鹿沢に置かれていた。現在の鉱山事務所や選鉱場跡などのある

一帯である。藩庁機構のなかで銅山の直接担当は銅山御用懸り勘定頭

のち勘

定奉行

)が当り、その下に

複数の銅山吟味役、銅山方、銅山取次等が属していた。山元には銅山方以下の数人が山元詰合として駐在し、廻

銅支配人や山先、山方役等を指揮していた。事務的部門

の役屋、台所、日払、大本番があり、技術部門として

二沢から鉗の集まる釦方役所、焙焼設備の釦焼〓、白吹・

具吹の作業場である床屋、資材集積の各蔵が軒を並べて

いた(

「尾去沢御銅山図

盛岡市中央公民館蔵

)。

『尾去沢銅山御見分諸御用控帳』(

阿部

家文書

)によって、

頁政元年(一七八九)における諸役方の編成と給与をあ

けると第三表の如くである。なお当時の廻銅支配人は井

上庄兵衛、箱崎与左衛門、山先は川口与六、青山金右衛

門、沢出善右衛門、川口与右衛門であった。またこの實

政元年は、天明期後半から引続いて銅山鉱況の退潮期に