テキストを表示
の定雇の者で、安行ともいった。安行頭とはその頭役で、三沢に一人ずつ置かれた。以上の各職種にわたる人員
は、すべて定傭者であるが、実際の作業に当ってはこれらの定傭者だけでは到底捌き切れないものがあった。こ
の場合臨時雇いとして、或いは定員補助の日雇として雇用されるのは、従業員の家族と山内の水呑であった。一
沢には金工のそれを越える家数と惣人数の水呑が居住し、ほかに鹿沢、笹小屋にも住んでいた。臨時労働力とし
てそれでも不足な場合には、尾去三カ村はじめ近郷農村にその供給を仰がなければならなかった。
金工働に対しては、扶持米・味噌・塩のほか作業用品等も支給されたが、これらの品代は通帳によって年二同
盆暮れに精算され、釦代あるいは賃金と相殺される仕組であった。寛政元年現在「金工働拾人扶持渡物諸品」
カ月分として
一、米弐石四斗但一日壱人ニ付八合宛一、扣木百五拾本
一、味噌七貫五百匁但一日壱人ニ付廿五匁宛一、大笊三枚
一、塩三升但一日壱人ニ付壱勺宛一、小笊六枚
一、茶九拾匁但一日壱人三分宛一、鶴台六本
一、葉煙草三拾斤但一日拾人ニ付壱斤宛一、揚笊壱枚
一、春木百弐拾挺但一日拾人ニ付四挺宛円
一、上莚六枚
一、燈竹三拾六〆一、鉄弐貫五百
一、鉄弐貫五百匁
一、荷形百本一、釵百
一、釵百五拾匁
一、上莚六枚一、〓
一、羽色笊壱枚但三ケ月ニ壱枚宛相渡候定目
、〓鉢壱枚但一ケ年ニ壱枚之定目