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定例斤高厳しく仰付けられ、外ニ當年御廻銅迄仰出され候得ハ中々以て当時之御不模様ニて右斤高調達仕候様覚束無く

存じ奉り候内、此度不時之御用儀ニ付出釦第一之金工職働方大ニ相後レ候上又々怠慢ニ至候てハ弥以重畳恐入存じ奉り

候。依之私共油断無く御締方専一ニ吟味罷在候得共、相役共無人ニ付残念罷有候。此旨篤と御賢察成下し置かれ出鉗銅

御欠算ニ相成申さざる様、御山例御立成下し置かれ度存じ奉り候。以ト

二月

二月川口与十郎

青山金右衛門

この庄八引渡しをめぐっての応酬は更に延々と行われたとみえ、同年八月御山先の認めた「御答之覚」が右の

口上書に続いている。それには、元来御山内での無調法者御扱い筋には御合規があって、他領者が多く入込む御

場所であるから、もし御引上御糺しの必要がある節には御銅山へ密々に仰せ遣わされれば、別段の事を設けて差

出すか或いは越度のある者は追山の上御山外にて御捕押えなさる様に取計う例である。他国の者でもそうである

のに、御山内住居の者は尚更「他向きより手を入候儀、決して御座無く候」。「何成変事在之節ハ御山内住居之者

ハ申すに及ばず、諸山エ知らせ合候得ハ表向親類之訳を以、友子朋輩見舞の為罷越候事礼儀に御座候。右之義信

を相止候様も無之、左候てハ一日之休ミハ何百両と申す御上之御損毛相立、御用銅之御間欠ニ相成候」。更に続

けて、往古より大罪の者も御山内で御仕置を命ぜられる御山例であり、庄八を御引付になっても「他国諸山之右

子ニ堅交を断たれ封山と相成、以後ハ人も参り候者無之、左候てハ元より短命之私共養子之者ニ差支え、迚も働

方永続仕らず難渋ニ至候訳、其筋懸り合之御役方より逐一申上候通」である。御山内の人気に背いては出鉗に障

るので、早く騒ぎを取鎮めできるよう庄八の身柄御引上なく此元で御吟味下され度い、として昔信州において権