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内新田町二〇一九
六日町六三五五
谷地田町九四六三
沢口一七二四
大町四〇二九
中町-四六
新町三七三六
関向四一四三
袋町六一五
横町四一一一
横丁四二二九
今泉一六一四
中小路九一三
川原町三一二三
小清水上三-
同心町三〇
古館ノ内-五
古館ノ下-一一
右の安永九年分には、給人や中野家中のいわゆる士分の数は入っていない。また安永九年分に中町を欠き、享
和三年には小上清水を欠いている。その理由はわからないが、当時の様子のおおよそは把握できる。なお花輪村
の総家数には、右のほか用野目、久保田、小深田、曲沢、鉄炮の各村分が含まれている。
花輪の給人数について、文政一〇年(一八二七)の記録
『南部藩秘私録』
岩手県立図書館蔵
)では「花輪通御給人二十三人、同
御与力七人、同御境役四人、同御同心三十人」と数えられ、幕末時には「本藩士族給人八十余名、与力四名、同
心三十名外、重臣南部家ノ家士六十五名余」
花輪町沿革
小田島由義述
)となっている。なお嘉永二年(一八四九)花輪を通
過した松浦武四郎は、『鹿角日誌』に花輪の様子を細かに認めている一
市史第二巻上・
三〇〇ページ参照
花輪の市日の起こりは、藩政初期のかなり早い時期にさかのぼるものと思われるが、詳しくは
)。
花輪の市日
わかっていない。前述の天和三年(一六八三)大里市の市立許可やその市札から推察すれば、