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ないだろうか。大里六日市が不振におちいり、隣接する花輪の上ミの町内に肩代わりされ、その市立ての行われ
た町が六日町と称されるに至った、とでもして首尾を合わせたいところである。然しそれも『手鏡記録書』にあ
る花輪三大火事のうち、承応二年六日町大火の記事(後年の天明三年以降に書かれた伝承記事であるが)が正し
いとすれば承応は大里市を三〇年近くさかのぼるので、この論は成り立たなくなり後考を俟たざるを得ない。
花輪の市日の様子を伝える資料は、残念ながらあまり残っていない。花輪町の有様や商売の品々については、
兀文三年(一七三八)の『諸士知行所出物諸品井境書上』
盛岡市中央
公民館蔵
)のなかに、中野吉兵衛の次の報告がある。
一、(略)館下通家来共居屋鋪、御足軽丁、沢小路と申百性家続御座候、井花輪町南北竪丁、裏丁御座候、此町裏通
江米代川より田地用水揚水、大堰流申候。
一、右所毛馬内大里江之往還、馬継場所御座候。
一、右所花輪町江所々より商売物参候品々、左之通
一、秋田領より潟鮒、授十月より十二月迄参申候、遍き、八寸、茶、半紙、蝋燭、繰綿、せうか、くらけ、鯨、瀬
戸物類、塩大坂廻り、塩ハ奥筋よりモ参申候、右歸ハ花輪町江初テ商賣出候節相調、毎年献上仕候。
、森岡より結布類、たばこ、真綿参申候。
一、福岡、三戸より縄たばこ、染藍、小麦参申候、八戸御領野田より鉄之類参申候、奥筋より昆布参申候。
右之通花輪町江参申候て商売仕候、入用之物ハ百性共申付、相調申候。(中略
、右所紫染、夏中斗仕、渡世ニ仕候者御座候、紫ハ津軽、松前より相調申候
、右所田山村外山より獨活、蕨、ミつ、あさミ、菌ハわかい等取出、百性共給料仕候、餘慶取出候節ハ商賣ニも仕候。
また、相坂江織の書上にも次のようにある。