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四七-四九人で推移している模様である。前述のように藩政初期には大湯御蔵が存在し、館内に藩預りの武具蔵

も設けられていた。大湯館は南側台上に造営され、同じく台上に家中屋敷町として上ワ町(現在の和町)がつく

られた。その館裾を弓形に通る街道にそって、上町、下町の家並がつづき、馬継所や尾去沢銅の銅宿などが置か

れていた。下町(現在の中町)の西端から、大湯南部家お預けの大湯同心一五人の同心丁(現在の丁内)となる。

同心丁の下手から来満街道は北向きに下の湯へ坂を下る。南側在郷坂を越えると花輪へ向う街道は中通の台上へ

のび、猿カ野までは幕府巡見使道であった。

兀文三年(一七三八)『諸士知行所出物諸品井境書上』の北九兵衛の書上分「大湯村」の内から摘記すると

一、右所大湯川と申川御座候、雑魚有之候、御運上川ニ茂無御座候、手前百性共漁仕候得共渡世ニハ不仕候。

一、右所先祖より館御座候、尤古代より御預被成候御武具蔵御座候、修覆等ハ手前ニて仕候。

一、右所大湯町と申町御座候、三戸、毛馬内、花輪往還ニて馬継ニ御座候、御巡見御通之筋ニ御座候。

一、右所館廻ニ給人屋敷井御預ケ被成候御足軽丁茂御座候

一、右所町上下ニ温泉弐ケ所御座候、湯屋等手前ニて修覆仕候、尤湯守茂手前町之者申付候、所々より湯治之者茂参候)

一、右所来満と申山より雑木、材木、薪、炭、垣柴、野茅、地竹、うと、わらひ、山葵、舞たけ、はつたけ、むきた

け、しいたけ等出申候、尤百性共渡世之足ニ商賣仕候。

一、右所麻糸、たはこ百性共遣用斗作出申候。

一、右所下馬むしろ百性共渡世之足ニ商賣仕候。

一、右所関川と申小川御座候、かちか斗稀ニ見得申候。

一、右所田屋廻漆少々御座候、右漆毎年大御納戸江手前より差上申候、年ニ寄目形多少ニ御座候。