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毛馬内町の場合は、慶長年中(

五九六~

六一五

い)に釈迦堂谷地とよぶ湿地帯を埋め立て、新たに町造りした。従って

当初水の便が悪く、用水・飲料水には特に意を注がなければならなかった。毛馬内用水(

御町用水」と

も記録される

)は慶長の

町割り以来と伝えられるが、汁毛川から引かれた水は下小路を流れた後本町に入る。本町では両側に分かれ側溝

状に流れ下っているが、古い時代にはおそらく生活用水として堰縁に洗い場流し場を設けていたものと思われる。

勿論重要な防火用水でもあった。

毛馬内の井戸は、東側シラス台地の山ぎわ即ち下小路や城ノ下の裏手に湧泉列があって、それぞれ井戸屋敷と

よばれていた。清水を多量に使う本町の酒屋筋では、起源は明らかでないが既に宝暦(

一七五

~六四

)以前に立派な

上水道を施設していた。天山堂『萬書留扣帳丙子歳』

「鹿角市史資料

編第五集』所収

に酒屋中町若松屋市右衛門の認めた井戸

普請の控がみえる。

本井戸仲間普請留扣

一、馬渕友八殿より本井戸損果候ニ付新規普請致様ニと被仰遣候間、右普請仲間より手前江御頼、右木道具大工木挽

入方共左之通

一、杉六寸角四本右井戸柱用壱丈弐尺弐本、壱丈壱尺ニ〆弐本都合如此代六百四十文

一、壱尺鹿料壱丁右小割ニ〆弐丁半貫拾弐枚ニ用ル厚サ弐寸幅五寸ニ而如是代弐百七拾四文川引上賃共

一、壱寸引板拾四枚右井戸かわニ用ル代六百六拾八文壱枚四拾文かへ

、水戸入口木三尺用ル手前ニ而兼而抜置候水戸木より引切用申候代五十文大工木挽細工代ともニ

一、弐百弐拾五文細工代右木引壱工半貫木拾弐枚引賃井一日五十文賄代加へ如此(略