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余に「白根金山米賣、本町四郎兵衛代同町清蔵を今日遣ス」とあり、この年の白根納米は盛岡本町の四郎兵衛が

恐っていた。白根への納米は一〇年余り本町の商人が独占していたとみえ、『雑書』明暦四年三月一三日条には

一、白根御米賣、本町壱町にて十年余り勤申に付て訴状上候ニ付、本町新町此二町にて替々相勤申可き由仰出さる。

として、本町の独占に対し新町から不満の訴状が出されている。藩政当初においては、城下町育成のため城下商

人に様々な特権が与えられており、鹿角の諸鉱山に対する納米独占もその一つである。

藩ではまた、蔵米を有利に捌くため脇米の入ることを厳しく取締り、慶安三年八月白根金山に三戸より脇米が

入らないよう米留を行ったことが『雑書』にみえている

こうした措置は、払出し御蔵米の高値を維持するためにとられたものである。御蔵米の払出し価格は他領下し

米を目安とし、市中相場より常に割高であり、白根を始め諸鉱山の山師から値下げの願出があった程である。従っ

て価格の面からも、鉱山は米の良い市場であった。

また鉱山の盛衰によって鉱山人口は変化するが、鹿角の場合は比較的安定していた。各鉱山個々の興廃はあ一

ても、鉱山が近距離で隣接しており全体としての変化は少なかった。天和から貞享にかけて(

六八

-八八

)の鹿角の

鉱山人口はおおよそ一、五〇〇人台、元禄前半(

六八八

-九四

)は三、〇〇〇人~三、五〇〇人台、元禄後半一

六九五

一七〇四

には二、〇〇〇人台である。天明二年(一七八二)一二月の『宗門奉行書上邦内人口』

『日本人口史

の研究』所収

)によると

鹿角郡人口一八、六八三人(内男一〇、八二三人、女七、八六〇人)

尾去沢銅山三、〇八八人(内男二、〇六五人、女一、〇二三人

尾去沢銅山の人口は、鹿角全人口の実に六分の一を占めている。これを領内主要御町と比較すると、尾去沢銅〓