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、酒類〃八九五貫七四六〓

一、煙草、茶〃六六四貫九七七文

、木炭〃六、二五一貫六〇三文

(製練用大炭三八二、八二五貫目、小炭一八三石)

、木林、板類〃四、六一五貫五四四文

、鉄類〃一、三四〇貫二五四文

(鉄三、六〇五貫目、荒釵一四二貫目、鍛釵一三四貫目)

、燈し竹その他〃一、〇一四貫八七七文

(燈し竹八、二〇九千本余、代九四一貫二〇六文、そ

の他燈油、蝋燭など)

〓笊、莚、荷形その他〃六三六貫二七二文

、竃衣草、嵐石等〃五六一貫四九三文

(鞏衣草一〇万〆、嵐石三三、七二〇枚、狸皮九四枚等)

(麓三郎『尾去沢・白根鉱山史』による)

この膨大な消費物資の内、鉄や木綿、塩、茶等の様に大坂買下し物や他地方から購入するものもあるが、その

他の大部分は地元で調達されている。米は両鹿角の御蔵米或は御買米を用い、木材・薪炭は銅山周辺の夜明嶋、

熊沢山、兄川山、田山、谷内の山林に求めた。また嘉永七年(一八五四)の書上げによると、莚・縄・笊類は花

輪町御用達井上長左衛門、揚笊・羽色笊の類は秋田領比内の中村、閑鉢等は毛馬内通鳥越村、油・蝋燭・麻糸等

は花輪町東屋新蔵からそれぞれ納めさせていた(

市史第二巻上・七一九、

七二〇ページ参昭

)。右は藩政後期の例であるが、大量の物

資が消費されていた事と、米を始め多くの物資供給を地元に仰いでいた事は、藩政期全体に亘って言えることで

ある。地元商人は初め城下商人の間〓を縫って鉱山に諸物資を納入していたが、次第に力を貯え、年商一万貫に

高橋

及ぶ毛馬内の伊勢屋(

家

山本

)や、若松屋

)といった大商人の誕生を見るに至る。その後白根にかわり尾去

家

沢が隆盛になるに従い、花輪における佐藤屋庄六を始め、村屋六助、小田嶋徳兵衛など、藩内にその名を知られ

る大商人が出現した。