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中村清右衛門以下四名の貸金の分一五〇貫三八一文は返済されなかったので、この年は一、二五四貫余の臨時支
出があったことになる。伊勢屋は献米献金等がなければ、年間八〇〇貫文内外の純益を出していた。しかし毎年
のように貸上金、御用金があり、年商一万貫から余り伸びなかった。
在庸
伊勢屋の取扱品は、勘定目録の末尾にある有物惣寄
)によれば、米、粟、餅米、大豆、小豆、塩、味
総高
噌、煙草、糸種、白油、かぶ油、小麦、蝋、鉄、春木などである。その内春木は元禄一三年に四万三千丁余の在
庫があったものが、元文五年には一二間半(約一、二五〇丁)と大きく後退している。その他、前述の造酒、及び
質屋金融も営んでいた。享保九年(一七二四)には質屋に対する御用金として一軒分二両を上納している。質物
は元禄一三年の在庫調にもあるが、一部門として独立したのは享保の頃からと思われる。
伊勢屋の持地
兀文の頃には、伊勢屋の主要商品は穀物となっている。これは給人山本九一郎としての知行
地と、商人伊勢屋としての持地からの出米が主体であったと思われる。
伊勢屋の持地は、元文六年(一七四一)勘定目録の「持高惣寄」によると
一、三百八拾七石六斗四升七合五勺御蔵入高
一、百八拾四石九斗六升四合給所地入高
〆五百七拾弐石六斗壱升壱合五勺
外ニ高拾六石五升九合御検地打出し高
一、百石知行高
酉ノ二月十一日改
とあり、総〆高は六八八石余である。こうした多くの持地は初代伊勢九郎兵衛以来の蓄積と思われ、その大半は