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屋号としたのは豊口家、高橋家で、普通若松屋といえば高橋家のことである。
若松屋が白根移住後、何を生業としたかははっきりしない。開拓に打ち込んだとも、白根を舞台とする商人で
あったともいわれているが、元禄以降は商人として巨富を積み、土地を求めて地主となっている。長年毛馬内町
の宿老、検断などの町役を勤め、一方献金によって給人となり、商人-地主-給人の、定石的なコースをたどっ
た。
大商人若松屋
只享五年(一六八八)年商僅か一四〇貫で始まった若松屋は、元禄一六年(一七〇三)には
午商四、〇〇〇貫となり、十数年で三十数倍に拡張した。若松屋は金融及び雑貨を主とし、
一方造酒、木材にも手を広げ、白根その他の鉱山へ納入していた
○貞享五年仕切目録
一、本百四拾貫百三拾壱文請取預り
但シ在々小かし賣残り物等迄入て此利弐拾九貫百三拾壱文
元利合百六拾九貫百三十壱文
○元禄一六年小指引覚
、金弐拾五両壱分取替
一、銭弐百弐拾六貫六給九文同
二口合テ金弐拾五両壱分ト銭弐百弐拾六貫六拾九文
右之通午ノ年中惣取替高也。
内
一、金弐拾両ト銭百六拾壱貫七百三拾五文