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に同月末三〇貫荷三四駄、二四貫荷一〇駄を仕送っている。佐庄は四月までに石橋文蔵と吉田万左衛門から二二

○駄を買付け、来満峠が牛馬不通になるまでに三〇〇駄、九、〇〇〇貫近くの鉄を鹿角へ移入している(〓

町井文書

書簡

〓入された鉄の一部は、銅山に納入されている。『御銅山記』によれば、明和八年(一七七一)

)。

鉄の販路

の鉄の消費量は四、八〇〇貫、以後も同様の需要があったと思われる。

また佐庄は秋田・津軽への中継移送を行っている。大野から移入された鉄は一先ず毛馬内の荷ふり所へ運ばれ、

箇三文の荷ふり銭を上納して、それぞれの注文先へ仕送られる。

藤島屋

長崎屋

入保五年(一八三四)『当年牛方立替覚』によると、秋田送りは殆ど大館藤長

)、長嘉(

)、長幸

長兵衛

嘉兵衛

長井幸

右衛門

友)宛に発送されている。一〇駄以下の小口が多く、一九件一二九駄、経費としては荷ふり世話方一貫四八

○文、荷ふり七六八文、牛方駄賃銭四一貫三四〇文を支払っている。

藤長、長嘉等の鉄受取証文が何通か残っているが、時には貫目違いもあったとみえ、次の覚が手代佐助宛に届

いている。

〓

扨又今日鉄拾駄御仕送り成下され慥め候得共、右目形嘉太郎殿井ニ駄賃衆立合ニ而相改め候処、左之通ニ御座候。

〓

拾五貫五百匁六箇

拾五貫弐箇

拾五貫弐百匁弐箇

右之内壱箇相改め候処、中札より壱本不足ニ御座候而、拾五貫百匁五箇、此内壱箇中札之通、拾五貫匁弐箇、拾五貫

弐百匁弐箇、中札之通

石之通ニ御座候。決而目形元掛違等之不可在と存奉り候得共、中札と引合ニ而目形不足ニ御座候。元より不足之訳御