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金工手宛貸

五月木綿壱反銭五百文

七月木綿壱反銭壱貫文

十一月古手御代貸銭壱貫文

十二月木綿壱反銭壱貫文

木綿と古手は年四回、現物支給であるが、古手に限り代銭貸しもあった。山内の床屋働きや金場働きも大体こ

れに近い支給を受けていたと思われる。銅山人口と対比しても、銅山は木綿や古着の最大の消費地であったとい

える。

櫻の移出

〓庄の取引の中で木材、特に欅の占める位置は大きい。木材は主として十和田周辺の銘木が中心

、その大部分は大湯南部(北)家から払出されている。嘉永四年(一八五一)正月、佐庄の手

代の内木材を担当したと思われる高瀬宗七から、欅等剪取の願が出されている

『御次留帳』喜永四年)

・諏訪家文書

)。

御領山之内五ケ沢外ニ手寄之場所ニ而、樫、桂、朴、栃頂戴仕り度旨、花輪町佐庄内宗七と申者願出候ニ付、願書左

之通

文中の樫とは欅のことで、藩政期には屡々樫の字を宛てられている。五ケ沢とは、来満山の内熊取沢、昼森沢、

出代沢、大国川之内曲渕、久四郎仮戸で、手寄の場所とは来満山中の便利な所という意味であろう。願出の木数

は目通り六尺以上の欅二八〇本、朴、栃各五〇本、桂三〇本で、伐採期間は五カ年間、価格は一五〇両で証文交

付と引替に五〇両、残一〇〇両は毎年二五両宛四カ年間とする条件であった。

この年の八月、当年分の欅三五本の能代川通し証文が藩から下付されている。