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二番▽を引当てたのは、給人関園右衛門の家代、谷地田町の清兵衛である。清兵衛には担保とする田地家屋勤

等がなかったと見え、豪商村屋六助を請人に頼み、村屋持地の名義借をして、田形七人役、畑形一七ツ役を担保

として提出している。終回まで十余年を要したこの無尽講の中で、清兵衛が村屋との関係をどう解決したのかは

明らかでない。

この様に、担保力の弱い者の請人として、更に掛金不能となった者の担保物件を早く処理するためにも、講で

は大農・大商人の参加を求めるようになった。こうして相互扶助的な色彩は次第に薄れ、大商人に支配される営

利を目的とした無尽講へと移行していったのである。

この無尽は文政九年から一二年までは順調に進んだが、その後掛金不能の者が出て崩壊した。既に亀当たりと

なった者は向後の掛金が債務として残り、それも滞り勝ちとなった。この無尽は嘉永三年(一八五〇)、担保を

処分し不足分は請人に対する債務とする形で処理されている。

此度備無尽免当り外残り人数分無尽ニ相究め、右ニ付〓当り受合御方引受井差向人数左之通

干時嘉永三庚戌年十月十五日定め

無尽担保の金融

担保物件の処分に当たった者は村屋六助、東屋新蔵、福田屋(工藤)治六で、掛金不能となった町通りの商工

〓者の家屋敷、田畑はこの三名の所有となった。残りの掛金はこれ等の豪商達が肩代りしている。

無尽は庶民の手近な金融機関であり、安い金利で資金を調達できるという長所があったが、

刄面当たり亀の偶然性に依存するという問題もあった。資金は必要な時に直ちに利用でき

〓

なければ余り意味がない。そのため無尽を担保とした金融が行われるようになった