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も高利なのか不明である。米は作柄が不安定で担保力が弱いためであろうか。

借用手形之事

一、米片馬利足五割三月廿七口

一、籾四斗六升米直し四日十六口

一、米弐斗利足五割五月十三口

一、米壱斗五升利足五割五月二十口

一、米片馬利足五割五月廿七口

右の通り借用申す所実正ニ御座候。此書入ニハ貴殿作分田之内ニ而手前取分之稲能き所弐百廿束書入仕り候。右米

当秋苅物前元利急度相済申可く候。(後略)

元文五年申ノ五月廿七日

元文五年申ノ五月廿七日石鳥谷村借主小右衛門印

肝入喜傳二印

戸館喜左衛門殿

同喜太郎殿

(渡部家文書)

この外、伊勢屋、若松屋等の文化文政頃の現物貸をみても、年利五割が普通である。

商人の場合は、余り変動のない商品か家屋敷を担保とし、利率は普通月二分半、年三割であった。百姓が金銭

を借りた場合、殆どが土地担保である。田畑永代売渡し抑制の政策により多くは年数売渡しの形をとっているが、

年三割

期限内に請け返すことが出来ないと永代売渡しとなった。その土地を借りる形で小作すると三把苅分け(〓

三分

が普通で、借入金に対しやや高利であった。

小間居百姓・町人にとって年利三割の返済は困難で、担保の土地・家屋敷は金融業を営む商人や大農へ流れた。

)