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藩では金銭預りを強化補修するため、大坂の豪商鴻池伊助、肥前屋篤兵衛の両名を蔵元に命じ、井筒屋善助、

同権右衛門、鍵屋茂兵衛の三名の御用達を加え、藩の産物を担保とする店預りを発行させた。物産を担保とした

ところから、物産札とも呼ばれている。

この店預りを領内一円に流通させるため、盛岡では鴻池伊助・肥前屋篤兵衛、福岡通は又右衛門(〓

国分

)、五

屋

野

戸通は泉七(

三浦屋信

右衛門

〓)、野辺地通は治六郎

佐藤

)、花輪通は庄六

)が引替所に任命された。『内史畧』による

村

屋

と、佐藤屋庄六は盛岡に於て御用達、鴻池金銭札引替所を勤めていたが、その後願出て花輪に帰り、引替所を担

当したという。実は庄六こと庄重郎は藩札・店預りの失敗に鑑み、物産札にも多大の懸念を持っていた。当時庄

重郎は健康を害して御用達や御城下引替所を辞任し花輪へ戻っており、藩のたっての要請で花輪引替所を担当し

たのである。

此年大坂出店鴻池伊助、肥前屋篤兵衛、鍵屋茂兵衛、森岡井筒屋善助、井筒屋権右衛門、右人数より預り切手出し、

花輪町佐藤屋庄六店ニ而正銭切替え、尤も金壱両ニ付百文切銭相出ス。

(『大日御祭札順番附留覚帳』阿部家文書)

家文書)

花輪三店の店預り

しかるにこの年の暮に至り、庄重郎が懸念した通り預り切手は大暴落した。藩からの送金がない限り引替所が

引替に応ずる事は出来ないわけだが、この間の事情に疎い百姓や町人は紙屑同然の預り切手に茫然自失、全責任

が引替所にあると錯覚したので、大商人佐庄と農商との間に拭い難いしこりが出来ることとなった。

関

同じく弘化四年、花輪三店の店預りが発行されている。花輪三店とは東屋(〓

)、中西

〓

屋(

栗

)の三店のことである。

〓)、秋田屋(

山