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第1図村方文書「乍恐奉差上拝借始末之事」

(阿部家文書)

たったが、究極の任務は一村内における年貢や諸役の和

税収納の監督にあった。

肝入について盛岡藩では「百姓取扱い向、村毎に肝入

壱人宛申付け、支配仕らせ候、給料は郷中償いにて米銭

の内を以て相渡し候」「村々町人百姓人別井びに切支丹

宗門改帳は年々四月中に差出させ、縁組は勝手に仕らせ、

他村出入は其村々肝入より送書取替にて相済み、出生、

犯去、出入増減相改め申候」「役金銭井びに小物成金、

代官所より村々肝入え割付相渡し候得ば、組頭と申す者

を以て百姓より取立て、肝入え差出し、肝入より代官所

にて取納め(略)」(

「南部地形申送

書』明治初年

)等と表現している。

老名は「おとな」とも「ろうめい」とも呼ばれ、肝入

を補佐しその相談役となった。肝入と老名は、殆ど村の

旧家や大高持の中から選ばれ、村の惣百姓や個々の百姓

の諸願書、請書の類には、必ず肝入と老名の名が連署さ

れている。

老名の人数は、村の大小により異なっていたが、嘉永