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なお『郷村私説』(
星川正甫・
文久元年カ
)に「肝入、組頭、御山守、村古人、御用状持夫(以下略)等之給銭」とか、
一組頭限ニて少々割付候村限入用雑費も相見得」「肝入組頭之諸帳も追々吟味仕り候へとも」云々等の記事がみ
える。天保七年『旦那様案詞帳』
阿部藤助・『鹿角市史
貧料編第七集』所収
の中にも次のように記されている。
口上
一、私組頭相勤候処、不行意ニ罷成勤兼候趣、兼て願上候通被下御免、尤旦那様迄も先達て内々願上置候、何れニも
御免被下候様奉願上候。以上
十二月二日
肝入甚四郎様
囘成新養營起、兼て輕上連勢下御免、尤那迄も先進て内々願上族、句れ二
十二月二日藤
藤助
一、組頭十二月十九日ニ御免、跡役佐太郎
これらの組頭の中から老名が出、老名の中から肝入が選ばれるのが通例であった。
また村役の一つに地古人があり、村の境界や故事に明るい者が任ぜられ、検地などの際現地に立合った。『歯
部地形申送書』』には「郷中土方之義は村毎に老名役と地古人の家建置き、村方之大小に寄り人数不同之れ有り、
右の者は地元境界の義取扱い申候」と説明されている。
ほかに小走り役がいて、村内の伝達や他村との連絡など諸用に当たっていた。山本家文書に、肝入・老名とと
もに小走の連署している証文の例が散見するので、たんなる連絡係という以上に重要な地位にあったと思われる。
これら地古人や小走の給代は村方の経費として支給され、ほか所により橋守や渡守の役もあり、それぞれ給代
が支払われていた。