テキストを表示
不足した草刈山
新田開発等により耕地が増え、人口や馬数が増加するにつれ、草刈地が不足した。草刈山
〓足の第一の原因はこの耕地の増加にあるが、その他植林(立林)、山林原野の銅山附山
への編入も挙げる事が出来る。
草刈地を縮少しかねない植林や開田には、関係村方の百姓の同意が必要であった。文政三年(一八二〇)新斗
米村久松・小平村清八の植林願に対し、代官所は関係村に差支えの有無を尋ね、小枝指村から次の回答が出され
ている。
此度毛馬内御代官所之内、小平村待子山之内ぬくらこ沢御山へ、小平村清八、新斗米村久松右両人杉松植立林に願上
奉り候ニ付、御村方ニ於て草飼等都而何儀ニ依らず差支之有無申上げ候様御尋ニ御座候。右場所往々御林ニ相成り候
而も、御村方ニ而末々迄も差支之筋御座無く候。恐れ乍ら御尋ニ付、此段御答申上奉り候。以上
文政三年辰九月
(米田家文書)
この文書は小平村老名惣兵衛外五名、小枝指村老名清松外四名連署の上、小平村肝入久兵衛から毛馬内代官並
びに御山奉行へ提出されている。なおこの植林は終了まで八カ年を要している。
安政二年(一八五五)には、所給人田村茂司、岩尾勝右衛門から、銅山附山、大林、小林と水沢地区の草刈山
七表平の開田の願出があったが、これに対しても村方の同意書を附するよう求められている。村方一統は相談を
遂げ「野形空地相対約定始末之事」なる回答書を出し、同意に応じている
田村
家文書
○。
この開田は、山間部で容易に草刈地の代替地が得られ、かつ用水路が村の防火用水にもなるとして問題なく解
決されているが、代替地の求め難い村々では様々な問題が起こった。