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に灰焼きするとの疑いをかけられ、証文を引上るとの沙汰があった。当方の灰焼き共を一々吟味したが左様な不心得

者は一切居らず、申訳のため奥瀬村へ三度、盛岡へ二度出向いて訳柄を申し上げ、ようやく当九月御免になった。小

なからざる物入りで迷惑至極であったが、もし証文引上げになれば藩の不利益にもなり、私共も潰れ、当所では駄賃

等の利益もなくなり、箒畑川目の者共まで潰れてしまうだろう。ようよう御免いただき先ずは安心した。当年は特に

密灰が沢山でて潤い(

〓い(〓)もなかったので、御礼金一二〇貫文の内当年二〇貫文引銭の上、一〇〇貫文上納とすること

益

をお許し願いたい。

右の願書により、紺屋灰は専売品様の取扱いを受け、年々箒畑村・大湯村惣百姓が冥加金三〇貫文で、灰山師

は御礼銭一二〇貫文で紺屋灰の生産をあげていたことがわかる。同じく山野に自生するニシコオリの木灰は、古

代技法を伝える鹿角の紫根染・茜染の下染に欠くことのできないものであった。このニシコオリ灰もまた、もっ

ぱら大湯川上地区の山村で作り出されていた。

また大湯川の奥深い来満山から十和田山へかけては、山菜や薬草の宝庫であった。なかでもその美事な大蕗は、

特産品として毎年六月上旬に盛岡藩主へ献上され、家老ら要路の者へも贈られた。天保一四年大湯南部家『御次

前

〓)には、六月七日「大湯より御献上之蕗粕漬着致」として、献上蕗の内容が記されている。

留帳』(

掲

覚

、鯡入六拾七本入壱櫃

一、御風味同断拾五本入壱櫃一、同断六拾八本入同

、替櫃壱ツ一、生蕗三拾本入

、生蕗五十本箱入ニ而

生蕗五十本箱入ニ而一、御精進七十壱本入壱〓

〓

〆

〆