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て穀物のほか二〇〇余件の味噌を払出したことが見える。

個人の家でも備荒用に味噌を貯え、鹿角では味噌の貯蔵量によって貧富の程度が計られた程である。かつて大

家といわれた家の土蔵には六尺にも及ぶ大きな味噌桶が数本も並び、三、四年味噌は普通で、七年も貯蔵したも

のもあった。

不仕付地の復興と百姓の抵抗

天明の大凶作で、各村々には多くの不仕付地が出来た。宝暦と同様、復旧に

は困難をきわめているが、宝暦と異なるのは百姓の組織力が大きく伸びてい

る点である。大凶作の年から四年目の天明七年(一七八七)二月、花輪通七カ村から次の歎願書が出されている

恐れ乍ら願上奉り候事

去ル辰ノ年御蔵入不仕付高、去年御扱い仕付仰付けられ

候ニ付、私共御村方より日雇銭下置かれ、御雇人足仰付

けられ、恐れ乍ら格別の御分と存じ奉り相勤め申候得共

凶作已来何れの御村方共に人馬不足に罷成り、御田地仕

付甚だ難渋仕り候間、恐れ乍ら当年御雇人馬の分御免成

下し置かれ度願上奉り候。押々仰付けられ候御儀にては

恐れ乍ら手に余り候分は、私共御村方にて不仕付仕り候

外御座無く候間、御慈悲を以て願の通仰付け下置かれ度

願上奉り候。已上

天明七年未二月花輪通御蔵給所御百姓共

長嶺村老名左平治

谷内村同藤助

夏井村同甚兵衛

長牛村同金兵衛

黒沢新左衛門様

長谷川市左衛門様

白欠村同作右衛門

三ケ田村同善七

長内村同貞六

長嶺村肝入市助

谷内村肝入十蔵

同村同兵左衛門

夏井村肝入権兵衛

長牛村肝入惣左衛門

白欠村肝入佐内

三ケ田村肝入作兵衛

長内村肝入甚五兵衛

川辺村肝入徳右衛門

(阿部家文書)