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伝馬
右の例によると花輪、毛馬内両通の御用銭、御用物、御蔵米等を盛岡へ附送る分の御配符
は、御役屋
切手
から湯瀬村肝入宛に出されている。多数の伝馬が必要な場合は、助郷の役を担う村々に助伝馬が割当てられて湯
瀬へ詰め、田山まで継立てをした。この御用控に記された助伝馬割当の村々は、大里・小豆沢・長嶺・谷内・夏
井・三ケ田・長牛・白懸・長内・川部・石とやの一一カ村である。青駄は「あんだ」といい、藩の許可により使
用した駕籠のことをいう。橋本定右衛門、中野三左衛門はともに毛馬内通代官である。
助伝馬割当
鹿角の街道の場合、通常の藩庁役人等の往来の外、御銅山を抱えて御用銅の輸送や、御蔵米は
じめ諸物資の附越に徴集される夫伝馬の数は相当以上のものであり、それに伴う村方百姓の迷
惑、難儀もまた大きかった。『文化十年御用扣』にも、同年一一月湯瀬村肝入・老名・山守・惣百姓の連名で花
輪通代官等に宛てた願書が記されている。「当御村麁田ノ御場所ニ御座候所、当年柄不作ニ付」「右ノ御百姓共
困窮仕り、往来夫伝馬相勤申候ニ甚ダ迷惑仕」るので、清水沢松御林の松二尺廻り以上を頂戴できれば松張木
春
木)を切出し御銅山に売上げ、「右御代銭を以て諸飯料買食仕り露命相繋、夫伝馬モ無滞相勤」め度いと訴えて
木
いる。
その後も駅役を命ぜられた村々の過重な負担は、いっこうに改まることがなかったとみえ、同じく湯瀬村では
阿部
慶應三年(一八六七)五月「乍恐奉願上候事」として負担軽減の陳情を行っている(
)。この願書は湯瀬村
家文書
肝入市兵衛、同村老名直右衛門・弥右衛門から時の花輪通代官平原村人・太田郡左衛門に宛てたものである。文
面に曰く、湯瀬村は高七五石一斗五升三合、家数二五軒、山合いなので田畑の至って不熟な困窮の村方にすぎな
い。往古より駅役を勤めてきたので村高は無役高とされ、かつ往来御伝馬三疋以上は大里村・小豆沢村へ助伝馬