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なお六十六部とは、全国六六カ所の霊場に法華経の写経を納めるため、鉦を叩き鈴を振って家ごと銭を乞い歩い
た遍歴の行脚僧で、六部ともいった。
往来証文
別記の通り領内の百姓たちが旅に出る機会は殆どなく、伊勢参宮や金毘羅参り、出羽三山参りな
どのほかは、余程の用件でない限り許されなかった。伊勢参宮の場合、本人と村肝入連署の願書
を代官所へ出し、焼印を押した木札の交付を受けるように定められていた。
寛政八年(一七九六)八月、藩目付より各通代官に対し、次の申渡しがあった(
「御家被仰
出』巻一六
)。
一、御領分中百姓、町人其外下々之者、伊勢参宮罷登り候節、江戸御屋鋪御門通用御焼印ノ木札御渡し成され候間、
持参罷登り申す可く候、尤諸士召仕ハ御境目御切手添状御渡し成され候間、持参罷登り候様先達て段々仰出され候、
(略)右之通、伊勢参宮ノ者ノ儀は、寛延四年六月仰出され候儀、度々御沙汰も之れ有る上、猶明和四年閏九月仰出
され、御焼印御渡し御取扱させ成され候内、自然と近年ニ至り相弛み、右御焼印申立て候御代官所も之れ無く、抜
参り同様ニ相成来り候得共、参宮ノ事故、御慈悲を以江戸御屋鋪御門内えも御入れ、御賄等も一夜は下し置かれ候、
(略)然る処此度以前ノ通、御焼印御代官え御渡し差置かれ候間、入江ノ者たり共洩れざる様申含め、御焼印持参仕
らず候得は、江戸御屋鋪に於て御吟味ノ上御戻し成され、缺落者ニ成され候事ニ候間、此旨得と申含め、御焼印願
出候者有之候ハ、滞り無く相渡し候様取扱い申す可き旨、猶又此度仰出さる
従来より伊勢参宮の者には焼印の木札が渡され、それを持って盛岡藩江戸屋敷へ立寄れば一宿一飯を与えられて
いたが、近年励行されていない、参宮の者は必ず焼印を持参すること、それを持たない者は欠落者として扱う、
との意である。
「同書』
又化一〇年(一八一三)三月には、旅行の際の必要事項として(〓
巻二〇