テキストを表示

同専助

同仁右衛門

大湯村孫太郎

同徳右衛門

濁川村市平

右之通商人宿申付。濁川村士

三月

右之通商人宿申付。

末尾の覚には、嘉永期における毛馬内、大湯、濁川の商人宿が記されている。ほかにこの資料には、商人宿と

異なる往来宿に、来満山中の一軒屋を当てるとともに大湯町にも一軒申付けたことと、大湯温泉入湯のため湯小

屋に逗留する他領者の始末合いを大湯町商人宿が行うことを指示した一札も含まれている

二、鹿角の街道

〓鹿角街道

横断路、鹿角往来

鹿角街道は鹿角往来、鹿角道とも称され、その道筋は城下盛岡を発し寺田、荒屋、田山を

経て鹿角郡に入り、米代川添いに花輪、神田、松山を通って土深井の藩境を越え秋田舘

十二所、扇田へと向う北奥羽の横断ルートであった。岩手山麓の広漠たる一本木原や七時雨山の難所越え、分水

嶺の梨ノ木峠、突兀たる岩山を縫う湯瀬の岨道など、鹿角へ至る道も坦々たる大道ばかりではなかった。またほ

二戸

かに福岡(

市

から浄法寺を経て荒屋の曲田で前記の本道へ合流する道筋も、古くから鹿角街道と呼ばれていた。