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番所設置の推移

鹿角はその西側と南側において佐竹領に接し、北側において津軽領と境している。当然他

領との関門には彼我の人馬・物資の移動を監視する境目番所が設置されていた。また領内

でも郡境の要地にその交通交易を監視する中番所があった。天和年中(

一六八

(八四

)の『邦内貢賦記』には「所々

御番所」として二五カ所を掲げているが、うち鹿角郡内所在のものは湯瀬・松山・濁川・熊沢の四カ処である。

いわゆる中番所は湯瀬のみで、ほかは境目番所であったが、土深井番所はまだ設けられていない。同書にはほか

に番所に関連する項として次のように記している。

、惣門口之物留、二才三才五調成共、侍中は銘々手形、町馬は御町奉行手形、材木、柾、蝋、漆、紫手形、入女は

小繋、湯瀬、鬼柳にて御改

一、馬門、湯瀬、夏坂、松山、雫石五ケ所物留、其外所々、武具類、鉄類、紅花、紫、黄蓮、蝋、漆、荏、綿、麻

苧、布、箔椀、同木地、塩硝、クンロク香、商買之牛馬、皮類、無手形男力

これらの条項は、番所本来の役目が無手形の人や馬の出入、禁制物資の流出流入を監視するにあったことを意味

福岡

している。小繋(

)、湯瀬ならびに夏坂

通

三円

)はともに中番所、鬼柳は仙台境、馬門は津軽境、松山、雫石

通