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第9図番所印-御境御番所判鑑から

(小坂町・杉原氏蔵)

折壁村(

現岩手県

安代町

)は花輪代官所の管轄する地域であった。

一、折壁御番所右ハ御城内ヨリ西ノ方折

壁村ヨリ石名坂と申所迄壱丁余花輪御

給人相勤

一、熊沢御番所右ハ御城内ヨリ西ノ方熊

沢村ヨリ北當り永田村迄半里森岡諸士

相勤

これらの五カ所の番所は、藩政末期に至る

までその位置を替えることはなかった。なお

二、各番所の変遷

松山番所

松山番所は、秋田境に接する毛馬内通松山村に置かれていた。藩政末期の『北奥路程記』に「世

河毛馬内通支配なり、此村家並揃イ能所なり、西方川前田東方山根畑なり、山に愛宕八幡山下に

観音堂あり、御番所村外れにあり」と記されている。番所は、現在の末広小学校北側一〇〇メートル、小池商店

の向い側の地点で、一メートル程高く土盛りをした方形の地盤に建てられていたと伝えられる。

鹿角における藩境の関門として、松山番所の果す機能にはすこぶる重要なものがあった。以下『雑書』記事を

たどりながらその変遷を追ってみる。「回国の聖宥傅上下十三人、鹿角ノ内松山番所ヲ當五月廿七日ニ通候曲、