テキストを表示
とあり、その三年後の元文三年(一七三八)『諸士知行所出物諸品並境書上』北九兵衛大湯村の分には
、右所町上下ニ温泉弐ケ所御座候、湯屋等手前ニて修覆仕り候、尤湯守も手前町之者申付候、所々より湯治之者も
参候。
第13図湯瀬温泉(『北奥路程記』から)
と書かれているので、湯守が置かれていたことは確かである。
大湯川上流銚子瀧の付近にも温泉が湧き、露天風呂として利用されていた。嘉永二年(一八四九)秋、伊勢国
の人松浦武四郎が十和田湖を経て銚子瀧を訪れた際、瀧壷の近くの小さな岩間に湧く温泉を見た。それは金気の
ものなのか少しも硫黄の臭いがなく、しかも手を入れ難
い位熱い、土地の人は腰気、疝癪、切疵、打身に効験が
「鹿角
多いと云い伝えている、と書いている(
)。口碑に
日誌』
よると近年まで銚子瀧わきに露天風呂があったという。
近世における湯瀬は、おもに宿駅として
著われ、温泉としての記録はあまり残っ
湯瀬温泉
ていない。
大明五年(一七八五)の秋、此処に宿った菅江真澄は
湯瀬といひて湯桁の三ならひたるところありけるに、
湯あひしてこよひはこゝに宿りぬ」と記し、宿近き川の
流れの音に寝られぬままに、軒端の山に啼く鹿に驚きな