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湯の御礼銭は宝永年中より始まり一カ年一〇貫文、湯守は善兵衛、孫市、重太とみえている。
以後の温泉関係を『雑書』から拾い、掲げる。
休二年九月鹿角熊沢御境出湯の湯守を今まで花輪の者に命じていたが、この度水沢村百姓共を湯守にするこ
ととした。本来水沢村百姓共の開いた湯であり、同村は熊沢御境通に近いので油断なく見廻るであろう。
○同年一〇月熊沢出湯役の証文に、是迄一カ年御礼金一両二歩宛で花輪中町新八に申付けていたが、其方共所百
姓へ一カ年御礼銭一〇貫文宛に望通り申付ける、御礼銭は年々一〇月中に必ず上納すること、湯小屋については只
今迄の通り、湯元への道筋は年々普請の上往来を自由にすること、を認めている
○天明五年四月「御銅山附熊沢温泉」を切留平新田の市郎治が、当年より五カ年中御礼金都合八両を差上げるこ
とを願い出、許された。
寛政元年九月熊沢温泉の「五ケ年中御礼金壱ケ年弐両宛上納」の年数が済んだので、更に五カ年中の継証文を
下され度いと、同所市郎治が願出て許された。
○同五年二月御銅山附熊沢温泉を一カ年二両宛で切留平村市郎治が請けていたが、脇より願人のあることを問
き、二両二歩宛の増金でなお五カ年の継続を願い、許されている。
○同八年二月花輪谷地田町惣太が「態沢御境下温泉御役」一カ年金二両二歩宛で請けていたが、当年より一両
増しにして更に五カ年中の継続を願い出た。
)同一二年一一月熊沢温泉湯守御礼金三両二歩宛五カ年中の花輪町惣太の請負年限が切れるので、請負高は代
官吟味入札とした処、惣太より御為増一両二歩指上げ都合一カ年五両宛の七カ年中を願出たので、御吟味の上五カ
年中として願の通り許可を与えた。