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富十郎御屋敷ニ而御裏幸稲荷様、花輪御新田の内下川原村御新田江移し奉り建立仕り度、隨而地尻地頭、霊地の
御場所開立仕り度、右之内五石社領頂戴仕り(中略)別當佐々木丹後仰付けられ候」とあるように、関富十郎の
屋敷に勧請してあった幸稲荷神社を花輪の下川原村へ遷座したことが知られる。安政二年(一八五五)正月条に
高万
よれば、これまで与えられていた社領五石が取り上げられ、その代りに現米二駄片
)となった。また寿
石
稲荷の名は、前述の安政二年の記録には「下川原寿稲荷」と見え、その後は単に寿稲荷と記されている。
社家の佐々木氏は小館山神宮の神職で、佐々木丹後、多門、多仲と三代にわたって奉仕している。
第2表三日市氏兼務の社堂
⑧その他の神社
寛政三年(一七九一)に記されたとみられる『南部領寺社鑑
によれば「南館、春日大明神吉田家社家黒沢對馬」と見える。こ
の黒沢氏は、住吉社の神職も兼ねていた。
この池に三日市氏の兼務していた社を『御領分社堂』
宝暦
年中
)、
『尾去沢御銅山附社地大書書上帳』(
明治三年・関
家文書
)によって上に表
示する。
『御領分社堂』より。○印は『尾去沢御銅山附社地大
書書上帳』にあるもの一
また、神職の奉仕する社堂を明治二年に記された『社寺絵図面
秋田県
庁所蔵
)から拾ってみると第三表の如くになる。この他に、何か
"因縁により寺で管理した寺持の神社があり、寺院の境内を守講
する地主の神(稲荷社などが多い)も祀られていた。