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寛永六年創立、花輪
〓萬松寺七世開山(慶安三年)大里
松寿庵
萬松寺で注目されるのは、宝暦一二年(一七六二)萬松寺現住大応により定められた『萬松寺門前百姓掟書』
(
である。これは、寺の維持管理を確実なものとするため門前の百姓の心得を定めたもので、一〇カ条からなって
いる。その主な内容は、「寺領に関する事」「境内及び山林に関する事」「弟子と門前の者との関係について」「門
〓と寺との関係について」心得違いのないように、寺へ忠勤をはげむように諭したものである(
一六三ペ
ージ参照
)。
本尊釈迦如来は、脇侍文珠菩薩、普賢菩薩とともに、寛保三年(一七四三)吉田宇兵衛の寄進によるとされ
「宝物什器古
、その像容の重厚なことから桃山時代の製作とみられる。持仏の不動尊像も古く、その厨子扉裏の
又書目録
蒔絵は鎌倉末期のものといわれる。元和二年(一六一六)南部利直より利直絵像、竹布袈裟、水晶珠数、唐木如
意を寄進され寺宝としていたが、相次ぐ火災により焼失している。
末庵として松寿庵(松山)がある。『萬松寺□末世代記』(
萬松寺
所蔵
)に「末庵一ケ所、開基瑤林樹瓊居士柴
内作右衛門也、享保三戌年二月建立、字鹿角郡松山村當寺十三世十宥金鐵和尚の代造立」とあり、のち無住のた
の萬松寺住職の兼務となった。安置の釈迦像には「享保十八癸丑三月十日観心作」、阿弥陀如来像には「如来起立
大施主柴内六右衛門藤原久治」の銘書がある。墓地には苔むした五輪塔を始め五基の柴内氏墓碑が残っている。