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⑤長泉寺(尾去)

)。

曹洞宗大源派、松澤山長泉寺は慶長一八年(一六一三)七月の創立、萬松寺末。開山は萬松寺三世虎山玄龍、

開基は明らかでないが、伝承の上では尾去沢赤沢出口の茶臼館の館主佐藤清左衛門ともいわれ、大正五年の火災

以前にはその位牌所があったという。清左衛門は鉱山によって長者になったと伝えられ、この寺と尾去沢との関

係が窺い知られる。なお『邦内郷村志』は、山号を松峯山としている。

境内地は尾去館の一郭を占め、裏手の郭上に愛宕神社の小祠が祀られ、神札に「当山鎮守愛宕大権現」と書か

れている。六地蔵堂わきに明和二年(一七六五)の三界萬霊塔が残っている。

長泉寺末庵として、尾去沢銅山笹小屋に大慈庵があった。寛永二年(一六二五)の創立で、幕末には境内一、

〇五三坪、住僧二名が居た一

明治初年『寺院明細)

帳』浅井小魚筆写

⑥寳珠寺(三ケ田)

曹洞宗大源派、雲龍山寳珠寺は天正一八年(一五九〇)の創立、萬松寺末。開山は萬松寺二世喜庵大悦で、開

基は毛馬内三左衛門直次である。享和二年『仁叟寺之事』

横田宇右

衛門手扣

には、当寺は正保二年(一六四五)一一月

毛馬内直次が毛馬内村に建立し、のち毛馬内氏の知行替えにより萬治元年(一六五八)七月知行地である三ケ田

村に移転したと述べられている。また『大圓寺縁起』には、寛永二〇年(一六四三)毛馬内三左衛門直次が大湯

より毛馬内へ知行替となった時、雲龍山寳珠寺も毛馬内に移り、明暦三年(一六五七)毛馬内九左衛門長次の知

行替に伴い花輪へ、のち毛馬内氏知行替と共に寛文年中一

一六六一

~七三

)二戸郡曲田村へ、更に鹿角郡三ケ田村へ移っ

たとも記されている。