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寺宝に、特異な構図による精巧な涅槃図(

寺伝・天正

)を伝えている。なお寳珠寺末として、慶長一五年(一六

一三年作

現小

現小坂

一〇)創立の瀧澤山鏡得寺(

)と、慶安三年(一六五〇)創立の自性山萬養寺

)がある。

坂町

町万谷

⑦大徳寺(大里)

曹洞宗大源派、福用山大徳寺は慶安三年(一六五〇)六月の創立、萬松寺末。開山は萬松寺七世良室呑久であ

る。なおこの創立年代を『鹿角志』は寛永一三年(一六三六)としているが、何に拠ったか明らかでない。境内

地面は佐々木富右衛門の寄進とされる。また口碑によれば、大里村尻平野の寺屋敷にあった寺が火災に遇い現在

地に移ったともいう。伽籃建立等に盡力した人に、大里に知行を有した中村七之丞が居り、六地蔵堂の中にその

石造の座像が安置されている。背面に墨書があり、よく読みとれないが「不老倉御銅山」「干時安永己亥歳」な

市指定

どの文字が見える。寺宝の金銅仏一体(

)は、藤原期ともみられている。高さ二六センチ程の小像ながら

文化財

重量約四・七キログラムと重い。

⑧長福寺(花輪)

曹洞宗大源派、杉澤山長福寺は萬松寺末、慶長元年(一五九六)九月の創立、開山は萬松寺二世喜庵太悦、開

基は大光寺左衛門佐正親と伝えられる。

当初現在の長年寺境内の地にあったものが、延宝二年(一六七四)中野伊織の花輪入部により現在地へ移され

た。延享二年(一七四五)の花輪川原町大火により類焼し、その後再建されて現在に至る。安永七年(一七七八)

に中野筑後康房が寺領五石三升三合を寄進した。

山門は享和三年(一八〇三)伽藍再築当時の古い物で、天井に描かれた蟠龍は傑作とされたが、今は風雪に薄