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寺ノ開山トシテ、其時拾七石ヲ附セリ」とある。別に『明治六年寺院台帳』の由緒書には、大永二年(一五二二

一〇月創建とある。なお靱負は明暦二年(一六五六)一一月病死、毛馬内家は絶家となった。

大湯へは赤尾氏知行の時期を経、寛文五年(一六六五)八月小軽米より北九兵衛宣継が入るに及んで、大圓寺

をその菩提所とした。宝永三年(一七〇六)北澄之助可継は茶湯料として高三石を寄進している。

鐘

同寺の木像弁財天座像は室町中期の作とみられ、また元山門楼上

)に置かれていた阿弥陀如来仏頭は、年

楼

代不詳で高さ一・〇八メートル、今は位牌堂に安置されている。庫裡の魚鼓

市指定

文化財

)は室町時代のもの、参道

の門杉(

県指定天

然記念物

)は樹高四二メートル、樹令二、〇〇〇年といわれる。

発

同寺末寺として小平村圓福寺、石野村石性寺一

〓)、青森県北郡切田村正法寺がある。

⑬圓福寺(小平)

曹洞宗大徹派、永久山圓福寺は永禄元年(一五五八)四月の建立、大湯大圓寺末、開山は大圓寺三世葉山宗亦

開基は豊田清紀と伝えられる。伝承では、もと小平村寺野に伽藍があったとも、さらに以前は東の山麓寺窪、〓

沢にあったともいわれる。又錦木山観音寺と深い関わりがあるとの口碑があり、寺宝の大茶釜や阿弥陀如来像は

市指定

観音寺より移されたものと伝えられている。その金銅仏阿弥陀如来立像

は像高四八センチ、「正安〓

文化財

年三月仏願」の刻銘があり、鎌倉末期の像容を呈している。『鹿角志』に「正安三年富永庄三郎刻ス」と記され

るが、その根拠については明らかでない。

員福寺南側の、小沢を隔てた向いの台地字天王平に、寺管掌の天王社が鎮座している。古くは十一面観音堂で

あったと伝えられる。