テキストを表示

⑭積昌寺(石野)

曹洞宗大徹派、金龍山積昌寺は、石性寺とも記され、天文一九年(一五五〇)一一月創立、大湯大圓寺末。開

山は大圓寺二世虚窓宗祝で、明和七年(一七七〇)より無住となったため本寺大圓寺住職の兼務となった。廃寺

となった年代は明らかでない。

〓仁叟寺(毛馬内)

曹洞宗道叟派、凱翁山仁叟寺は仙台領胆沢郡永岡村の永徳寺末。寺伝では仁叟寺は初め瑞源山善勝寺と称し、

南部家の一族千徳次郎善勝が應永二年(一三九五)閉伊郡千徳村に菩提寺として建立したとされる。『仁叟寺由

緒帳』には、永徳寺の布教僧であった天産嘉舜に懇請して永徳寺十世黄山東菊を勧請し、中興開山としたとある。

入文三年(一五三四)に閉伊郡の叛乱を平定した桜庭光康は、千徳氏に替って千徳村など数村を領有し、善勝

寺を菩提所とした。その後明暦三年(一六五七)桜庭兵助光英の代に毛馬内へ知行替となり、光英に随った善勝

寺六世午春是端が寳珠寺跡に善勝寺の名跡を移し、山号寺号を義圓山仁叟寺と改めた。

『享和二戌年仁叟寺之事横田宇左衛門手扣』

関西大

学所蔵

のうち、延享三年(一七四六)の報恩寺から関三カ寺へ

の世代書上に「寛永廿年以前は大圓寺也、正保元年より明暦年中まで寳珠寺也、明暦三年右寺抜ケ後を新ニ仁

寺と改め、開山より五世まで勧請ニて罷有り、明暦年中六世是端三ツ寺開山ニ相違御座無く候」と見えている。

仁叟寺の寺号は光英の父兵助直際の法名仁叟紹智居士からとり、山号は天和三年(一六八三)光英の法名凱翁

宗勝居士に因んで凱翁山と改められた。

境内は東西四二間、南北三五間で、寺領一〇石と共に光英の寄進とされる。その後、延享元年に桜庭安房が一