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熊野堂と獅子森権現堂の別当となる。文永二年(一二六五)尾去村に移り、連綿として堂社に奉仕して来たという。

またこの海沼家には、銘は記されていないが、中世の作と見られる獅子頭や神楽面七面が所蔵されている。秋

安永七

出県指定の無形民俗文化財の大森親山獅子大権現舞に用いられる獅子頭

)や、不動明王像(

安永力

年作

)など

年作

も保存されている。

②不動院

毛馬内の不動院は、中世からの家柄と伝えられる。延享二年(一七四五)の『棟札書・不動院』の若宮八幡宮

の棟札の写に「慶長十三歳別当不動院源慶」と記されている。延享二年『神社由緒書上帳』によれば、不動院の

先祖として「大坊」「常楽院」「喜楽院」が上げられる。『不動院袖扣』にも「大坊」「常楽院」が述べられ、大坊〓

ついては「大坊館」として地名が伝えられる。常楽院については元和年中(

一六一五

~二四

)から寛永年中(

一六二四

~四四

存在したとされ、月山神社境内の石碑二基に、寛永一七年常楽院の銘が刻まれている。また喜楽院については、

藩『雑書』承應二年(一六五三)六月二二日条に「同月山別當喜楽院」と記されている。その系譜は

大坊……不動院……常楽院……喜楽院……不動院

のようになると思われる。

ただ後に延享二年の書上に現われる喜楽院(

毛馬内又

は瀬田石

については、『神社由緒書上帳』の「瀬田石村八幡宮

の項に「別當ハ毛馬内村覚蔵坊(中略)坊跡中絶ニ罷成候所ニ、元文四年毛馬内村不動院弟子喜楽院、不動院よ

り別當預ル」とあり、この時点にあらわれる喜楽院は不動院の弟子であり、社もこの八幡宮だけであった。翌年

の『本末并分限御改帳・不動院』(

関西大

学所蔵

によれば、喜楽院は「堂社六ケ所」「旦那場、村数四ケ村、家数五十

)に