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参詣旅行とは関わりのない講も多くあった。『手鏡記録書』によれば、若衆講、女講、ふたらく講、神明講、

朋日講、観音講など多彩な講のあったことがうかがわれる。また、『あつめ草』

阿部家文書・『鹿角

市史資料編第二集』所収

)の中にも、

恵美寿講、桜田氏の講、獅子沢講などが記されている。年齢や階層、性別、地域、信仰の対象などにより、いろ

いろな講が組織され、信心や仲間づくりなどに大きな役割を果して来たと言えよう。

近世における身分制度の確立は、多方面に影響をおよぼしている。職業の世襲化と同業者組合

間

仲

)の結成により、信仰の面でもその影響が見られる。花輪においては、幸稲荷神社と神明

社の氏子はほぼ身分や町内別によって分けられていた。ただし日常の信仰においては、何も限定されることはな

かった。幸稲荷神社に関する記録はないが、神明社の場合、苗字のある者が多く講中として名を列ねている。そ

の多くは苗字を許された商人達であった。

同業者の信仰の例としては記録に残っているものに、酒屋神として知られる松尾神社がある。この松尾神社は

盛岡の八幡町に鎮座するが、山城国葛野郡一

現在の京都市西

京区嵐山宮町

)に鎮座する松尾大社から分祀したものである。この

松尾大社は、古くから酒造りの神として崇められている。宝暦五年(一七五五)の『萬書留扣帳

大山堂

又書

)に「盛

岡松尾御別當法蔵院様、酉九月二日御出、手前御宿、上下三人御賄上候、右御別當四月代替り成られ候由、(巾

哈)當酒や三人相談ノ上、壱人より弐百文宛、安永六酉九月二日進申候」とあるように、松尾神社の別当が鹿角

へ来た時に、毛馬内の酒屋三人が相談して二〇〇文ずつ献納している。ほかに毎年初穂料を差し上げ、松尾神社

仰神札を別当の名代によって配布されることが例であった

「酒屋諸日記』

奈良氏所蔵

)。

また明確な記録はないが、鹿角でも大工の守護神として聖徳太子を祀ることが行われている。