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坑内で働く人々にとって危険はつきものであるから、神仏に対する崇敬はとりわけ厚いものがあった。その鉱

山の布教につとめたのが曹洞宗、浄土宗、浄土真宗の僧達であった。このように仏教(僧侶)と鉱山の結びつき

は深く、その中でも誓願寺の千手観音菩薩像と金場水仕女の勝女にまつわる話は、鉱山と信仰の強い結びつきを

物語るものであろう。

鉱山とキリスト教

〓戸幕府がキリシタン禁令を発して以来、多くのキリシタン信者は、治外法権的色彩の

濃い特殊職業集団の鉱山に多く潜伏したといわれる。

鹿角においてもやはり数件のキリシタン事件が起きている。寛永一六年(一六三九)の南部秋田領境の切支丹

探索事件や、慶安三年(一六五〇)白根キリシタン長左衛門事件である

鹿角市史第二巻上・

第二章・第四章参照

)。慶安三年二月に白

根金山で、鍛冶の久七の所に居る長左衛門がキリシタンであることが発覚した。長左衛門は秋田領十二所まで逃

亡したが捕縛され、盛岡において藩の取調べを受けた後、江戸へ護送され幕府の詮議を受けている。その二年後

転宗の結果赦免されて白根へ帰り、二人扶持を与えられている。

慶長坑道

また現在の尾去沢マインランドのちょんまげ坑道(

)には、今も隠れキリシタンの掘り刻んだとみら

ともいう

れる十字架様の印が残っている。この後、鉱山におけるキリシタンの詮議は厳しさを増している。

〔註記〕

註1『寺社』盛岡藩内の社寺の記録。藩『雑書』などから寛永二一年より天保八年までを抜書して編集したもの。

一二冊からなる。盛岡市中央公民館蔵。