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二、鹿角の医家
享保の医家
鹿角の医家については、幕末期をのぞいて余り知ることができない。現存する御用留帳の類は、
始ど幕末の一時期を満たすに過ぎず、かつその中から医師名を検索し得るのは諸士の病気ニ付
御用御免願や末期名跡願、稀には医業稽古などの記事に限られる。
享保一五年(一七三〇)の時点で、花輪町に少なくとも四人の町医のあったことは、次の花輪給人関利平次の
願書によって知られる一
関
〓)
家文書
)。
乍恐奉願上事
一、私儀去ル十九日より相煩、脾胃虚之症ニ而當所御町醫安達元〓、宮沢一膺、田中運悦、三ケ田伯俊薬用仕り候得
共快気可仕躰無御座候、依之恐多奉存候得共男子無御座女子壱人御座候、名跡之儀同姓関理左衛門次男金平十五歳
罷成候、此者聟養子被仰付被下度奉願上候、御慈悲以願之通被仰付被下置候ハヽ難有奉存候。(下略
享保十五年九月廿七日花輪御給人関利平〓
菊地平左衛門殿
鈴木七郎右衛門殿
右の宛所の両人は、給人を管理下におく花輪通代官である。
根市
おおよそ宝暦・安永頃、根市元順、同元泰がともに花輪町医であったことが『歴代略記録」
家文書
れている。
)に記さ