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秀之進と挙を共にし、文政五年(一八二二)八月江戸小塚原において刑死した。右平太はその養子に勝又安人

文政九年、善

左衛門と名改

)の弟久米之助を迎え、没後久米之助事右平太(

天保四年名改

慶應三年没

)によって道場は引き続き繁栄をみた

柴山文一郎「近世鹿角の剣

術」『鹿角のあゆみ』〓収

)。その後関右平太は毛馬内の定八嫡子勝又周治

安政四

年家督

)に山口流を譲ったといわれ、勝

又周治が同流を継承し毛馬内において門弟の取立に当たっている。慶應三年(一八六七)花輪南部家『諸御用〓

帳』二月四日の項に「関右平太殿老衰ニ付山口流指範小田嶋次郎兵衛江相譲候旨、御城下表江被届候旨、嫡孫関

隆次郎殿を以被申出」と記されている。

弘化四年(一八四七)『武藝書上帳』(

山本家

又書

)には、次の流派別が示されている。

覚

一、石田又市嫡子徳之助

一、勝又定八嫡子周治

東軍流劔術

長沼流兵学

田宮流居合

山口流劔術

一、勝又藤四郎嫡子善之助

同鎖鎌

山口流劔術

不変流取手

一、黒沢兵五郎嫡子忠次郎

東軍流劔術

東軍流劔術

同三男立助

〓大森京助弟甚作円

右同断

東軍流劔術

不変流取組

一、関惣太郎伯父卯七井上流炮術

山口流劔術

一、工藤村右衛門門弟角曲

東軍流劔術

一、西村長治嫡子小太郎

山口流劔術

一、高橋理左衛門嫡子文吾

東軍流劔術

一、石田伊惣治弟善治郎

東軍流劔術

一、高橋勇之助嫡子寅五郎

山口流劔術

一、高橋市郎右衛門嫡子市郎

東軍流劔術