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第三節鹿角の美術・文芸
一、絵画・彫刻
川口月嶺
幕末における代表的な絵師は、花輪の川口月嶺(
)である。月嶺は鹿角第一というより、
八一
八七
(
当時盛岡藩を代表する画人であった。藩の御抱え絵師は当初より狩野派によって占められていた
が、この伝統的画風が次第に形式化するに及んで、南画と円山派の写生体とを綜合した四条円山派の新鮮な画風
が人々に迎え入れられた。川口月嶺は円山派の渡辺南岳および四条派の岡本豊彦に師事した鈴木南嶺から画を学
び、やがて藩の御抱え絵師となった。その写譜(スケッチ)、地取り(縮図)は徹底した写生であり、それを基に
文人的な気分を乗せて表現した作品は他に卓越しており、幕末期における盛岡藩絵師のなかで中枢的存在として
活躍している(
梅原廉『盛岡の美術(絵画)』
・盛岡市教育委員会
御抱え絵師としての召出しについては、『覚書』弘化三年(一八四六)二月二日条に「花輪御給人勇治大伯〓
古七之助妾腹之子」川口七之助に対し、「御遣方有之弐人扶持被下置被召出」として城中柳之間に於て老中列座
のうちに楢山帯刀から申渡したと認められている。次いで嘉永四年(一八五一)一二月「兼て御絵御用出精相勤
め、此度大奥御普請向に付骨折り相勤め候ニ付」三人扶持を加増し都合五人扶持とする旨の証文がだされている
)。
)。なお月嶺が並々ならぬ評価を得ていた例として次のことが挙げられる。
盛岡市川口
家文書