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第9図仙流作の絵馬(芦名神社)

また、狩野林流の絵馬は鹿角に二点確認される。一点

享和四年武藤

は花輪神明社の額絵馬「牛若と弁慶図」

)、

正兵衛奉納

いま一点は芦名神社の額絵馬のうち文化四年奉納「飛翔

ノ鶴と松」である。奉納者は桜庭綱豊ほか同家内役人四

名で、当時の鹿角に狩野林流の影響がつよく及んでいた

ことを思わせる。

戸名神社には右の図柄と全く同じなもう一つの額絵馬

が掲げられ、文政一三年(一八三〇)桜庭家中七名の奉

納で、仙流画と署名されている。仙流とは毛馬内の人、

青山長者と称された吉右衛門の子青山忠七のことである。

『鹿角志』は青山忠七の項に「諱ハ金貞仙流ト号シ、(略)平生文墨ニ耽リ、画ハ湯川玉流ヲ師トシ、書ハ圓子清

親ニ従テ学フ」と述べ、遊歴を好んで奥羽から江戸へ至り、滞在中揮毫を請う者跡を絶たなかったと伝えている。

安政二年歿、享年七三。仙流もまた狩野派の画風を郷土に普及した人というべきである。

以上の僅かな資料からの判断であるが、鹿角においても盛岡藩内の趨勢と同様に、初め狩野派が盛んであった

が、幕末に至り郷土出身の四条派川口月嶺とその門下の画人たちに、その主座を譲ったということができる。な

焼

お『鹿角志』萬松寺の項に、寺宝の南部利直自画肖像一幅

)を同寺が祝融にあう以前に模写した、大湯村画

失

人山口雪操のことを記しているが、雪操の年代、経歴ともに明らかでない。