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た、東□丹一とはいかなる仏師であろうか。高屋十一面観世音堂の本尊仏、総長七八センチメートルの十一面〓

音立像を奉安した際の棟札に「寛政十戊午年十一月廿六日」「大佛師丹海上人」「願主當村中・本願主喜作」と認

められている。この仏師丹海とは「仏性院、別号白樹、盛岡藩士で初め禅僧となった。仏像の彫刻を好み上京し

て仏師となる。修業の上秋田に来て新屋薬王院の住持となり、真言宗となって妻帯。秋田八幡神社や金砂神社の

彫刻は丹海の手という。その他所々に仏像を刻み安置した。文政元年一〇月二五日没」

『秋田人名大辞典』

秋田魁新報社刊

)。因み

に秋田八幡神社は移築されて千秋公園内彌栄神社社殿となり、丹海の彫刻の結構さから秋田県指定文化財(〓

建築

物

物

となっている。丹海は高屋十一面観音像を彫っていることと、前歴が盛岡藩士といわれていることから、鹿角と

何らかの因縁をもち、男神・女神の大日如来像作者丹一もまた「丹」の字を与えられていることからみて、丹海

に師事した仏師であろうと推測される。

『鹿角志』人物の項に掲げられた中から、彫刻関連部分を抄記すると

福本藤吾

杉原篤司

吾諸国を遊歴すること数年、医術・劒術と共に仏工を研究し、帰郷後神仏彫刻の術を自家の子弟に伝えた。

尿篤司幼少から手工が巧みで長じて仏工となり、神仏の諸像および禽獣虫魚花卉草木を彫刻して、世に販売し

た。福本藤吾の外孫に当たる。

ともに毛馬内の人であるが、その生年・歿年を欠いている。

大湯大円寺本堂の欄間三枚に天女の彫刻が施され、裏書に「天保七申歳、細工師濁川村福本新蔵、同手傅箒畑

村成田荘治、塗師千葉胤智」と記されている。当時活躍した彫物師たちであろう。なお大湯成田庄吉は数代にわ

たって地方屈指の彫刻師として知られてきた。