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れなるものも書て呉よとなん乞ひけるにいなみかたけれハみゝすのみゝす書にかひやり侍りて」と詞書して
土筆千束の数は盡しかたし狭布里為需
と書き、次に
錦木のいしものいはす苔の花菅原重厚
機織や塚にうみつむ糸すすき五戸石明
塚の草千束のいろそ穂に見する小夜庵五明
朽ぬ名のしくれ〳〵て塚古し甫
銅木の塚唯露の白き哉や鳬庵一荳
虫聲々そのかよひ路も有しまま素〓
月ふるく細布抱くやも女かな随斎成美
よはりけり染木か下のきりきりす千載亭萬戸
三輪表秀
漢詩と和歌五首(
ほか
恋つもる空もや雪の天の川加陽行脚松井
錦塚月を探して明にけり越前甫立
塚の雉子またも染木のたちしやと文〓
錦木や夏草に高き其名のみ伊勢人月苜
執子葉かのはかなくかかる染木哉峰寿院
)をはさんで
つづいて次の俳人の句が書き列ねられている。
可貢・其西・羽ノ胡・清潮・あきた・東都行脚むかし坊白夜・羽ノ白藻代筆東都京橋銀座一丁目住一朝・豊前帰雲・中
魯石・羽州扇田高月・北川・竹葉堂一刀・其峯・かゝみ百川・梅存・秋田無外・同白坂櫟堂・同鶯起・同池柳・恭康・
玩紫葛吾・狭布里麟趾・江都山人・阿仁里英・清雅・十二所藻交・大館山口美誉志・木村一光・大館物壮・羽後万
風・挑馬・鶯騨主人・太年・新渡戸常光
この帳の俳句は合せて五四句にのぼる。前述した如く、この歌句帳は寛政八年東都行脚楊柳庵の序を得て古川村