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則、王民、尊一、麟趾、花輪から汀富、草山、青和、竹雨、徐来が入集している。又江戸の小林見外編『槻弓集』

には「南部盛岡一徳庵社中」として毛馬内の知則、幽篁、麟趾、王民、野棠、北泉、月楫、桑圃、各水、蕗谷

花輪から徐来、草山、吾来が入集している

「鹿角俳諧・

俳句史抄。

。一徳庵は於曽此一の庵号で、これら毛馬内の主な俳人

たちは盛岡の於曽此一に師事していたことがわかる。一徳庵此一は辻嵐外門、安政初年頃盛岡に来てまたたく間

に勢力を広げ、南部領内を席巻したといわれる。師此一が、慶應四年五月盛岡において割腹自決を遂げた王民近

内藤十湾・

内悦人に寄せた切々の弔文は『鹿角志』

)に詳しい。

明治四〇年

同じく慶應三年江戸での出版と思われる香城編『俳家新聞』には王民、野棠、北泉、月楫、桑圃、各水、知則

前掲

幽篁らが入集している(

)。このように中央俳誌に入集する程の力を具える俳人を輩出した鹿角は、戊辰戦

書

のなかで王民・月郷らを失ないながらも、その混乱のなかからさらに明治に向けて活動の舞台を広げていくので

ある。