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覚

一、四人花輪通

一、五人毛馬内通

此度御上京ニ付、村夫正人被仰付候人数割左之通

との割付であったが一

書

前掲

)、藩主の上京はなく代わって楢山佐渡が上洛の途についている。

これに先だつ一月二四日朝廷から南部中将(

雨

〓)に対し、仙台中将の会津討伐軍を応援し功を奏すべしとの出

軍命令が発せられた。それをうけて藩庁は、次の被仰出書を発して藩士に出張の覚悟を促し、銃隊と御番組の出

動を内示した(

前掲

書

書

)。

別紙之通従御所被為蒙仰候ニ付而ハ、先達而御沙汰被成候通、出張之覚悟可罷在之旨被仰出。

二月十六日

此度応援被仰蒙候ニ付、先魁銃隊井七手御番組御備御引纒可被及御出勢、勿論當年出張年番之向ハ不取敢近々繰出可

被仰付候条、此旨相心得候之様被仰出。

但軍装為御見届近々甲冑試被仰付。

毛馬内館を預かる桜庭祐橘は、二月二三日付をもって「御中丸御番頭被仰付」「四番組御番子取扱被仰付」と

『覚

発令されている(

)。

書』

三月一一日には目付高野恵吉より鹿角両代官所へ、会津征討応援の先魁人数を取敢えず花巻迄出陣するよう命

ぜられたので此旨心得るように、との達しがあった。ついで村夫や牛馬調達の申渡しが届いている。